早野梓と樹海と

富士北麓に住んで30年が経ちました。その間、青木ヶ原樹海、富士五湖を中心に小説の舞台にしたり、四季折々の自然を楽しんできました。
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管理人さんの薦める本について[2010/04/14 23:40]

 管理人さんの薦める本について


 管理人さんの薦める、三田誠広さんの、小説の書き方に関する本は、私の、書くための基本バイブルのようなものだったので、管理人さんも読んでいたのかと、少々、驚いている。この3部作の中でも、『書く前に読もう超明解文学史』は、とくに、重要なものだと思う。何回読んでも、すごいのだ。もともと三田さんが、日本の文学史に残るような作家なので、すごいことは分かりきっているのだが、これを、どのように利用するか、色々な視点を持たせてくれるので、それが、すごいと思うのだ。
 おおまかに言って、これで、『日本文学史の概略を知って、後は、自分にあった作家の本を徹底的に読もう』というようなもので、私のような、怠け者には、とても助かるのだ。だが、一回読んだだけではダメだと思う。しかし、何回も読めという意味ではない。
 つまり、物を書く時に、自分が書いている、『立ち位置を、書く前に確認し、書いた後にも確認する』ということを、きちんと、しておく必要がある、という意味で、この本は、『自分の書く立ち位置』を、いつも、自分で確認するものとして、その都度、読んでおく必要があると思うのだ。すごいことを、コンパクトにまとめてあるので、すっと、通り過ごしてしまうことがあるので、自分で書くという作業をする前後に、読むと、新しい発見をして、自分が書くものが、ちょっとは、見えてくるのだ。
 自分の書く立ち位置も自覚しないで書くというのは、やはり無謀だと思うのだ。古いと言われようと、新しいと言われようと、自分の書き方を自覚しておくことは大事だ。谷崎は、小説は筋が大事だと言った。芥川は、筋そのものが重要ではないと言った。いわゆる『話らしい話のない小説』論争だ。小説とは、どういうものなのか、『書く前に読もう超明解文学史』を読めば、そういう小説の本質も分かるのだ。川端康成がどうすごいか、志賀直哉がどうすごいか、すごいには違いないが、どうすごいのか、自分で確認するするヒントが書かれている。私は、川端康成の言語表現技術はすごいものだと思うが、どういうわけか、私の人生観には響くものがない。私が未熟なせいだろうと思うが、これから、いくつかの小説を書くうちに、何か響いてくるものを発見するかも知れない。そういう意味で、簡略的であっても、『書く前に読もう超明解文学史』を何度も読もうと思っている。
 ただ、これを読めば、小説が上手になるというものではない。あくまでも、書く立ち位置を自覚しておくというものだ。筆力を鍛錬するのは、それ以前に書かれた、2冊の本は参考になるが、筆力を向上させるためには、あくまでも、自身のたゆまぬ鍛錬が必要であろうかと思う。圧倒的な筆力は、書かれている内容を凌駕してしまうことさえある。小説は、一にも、二にも、筆力が必要だと思う。その筆力の上に、自身の立ち位置を自覚して書く必要があろうかと思う。天才ではないかぎり、筆力の鍛錬は、生涯続けていかなければならないものだと思うのだ。『作家』というより、『物書き職人』と言われるほどに、職人気質のようなものが必要なのが、小説であるような気がするのだ。
 三田さんが言っているのは、純文学の範疇の話である。三田さんは、とてもダンディな方で、お酒が好きなようだ。我々、これからの者と話す時も、小説の話になると真剣だ。どうも、エンターティメント小説が話題にならないので、あくまでも、純文学としての話かとも思うが、書くということでは、基本は同じかも知れない。それは、三田さんの本を読んで、自身が判断するようなものだろう。ダンディな方という言い方は、私の独断だが、作家だから、みすぼらしい格好でもよいという殻を破って生きているようで、私は、とても好感を持ったのだ。私が目指したいと思うのは、普通のオジサンで、かつ、職人のような精神だ。作家らしいという風貌というのは、私は、今や、時代遅れというか、今の科学の複雑な発展の中で、意味を持たないと思えてならないのだ。
 重要なのは、作品が、どんな立ち位置にあるのか、ということだと思うのだ。


 


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