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 子供の頃、父の勤めの関係で鉱山で育った。日本の公害問題発生の第一号と言われる町であった。精錬所のある所に行くと、大きな山には全く緑がなくゴツゴツとした岩山であった。川があってダムがあった。その反対側に見える小さな丘には墓場があった。岩山は日暮れとともに色がどす黒くなり、子供心にこんなに不気味な恐いものはないと思った。そんな恐怖心に輪をかけて、母はそこに魔王がいる。恐いから近寄らないようにと言って、危険なその場所に行かせないようにさせた。
 だが次の日には恐いもの見たさで、またそこに行った。行って、岩にろうせきで自分の名前を書いてきた。それが子供の自慢でもあった。他にも鉱山だから、建物も大きく山の高いところに奇妙な形をした建物がたくさんあった。戦争中はその建物が敵の標的にならないようにと黒く縞模様を塗ったので、戦後十年以上たってもよけいに不気味さをかもしだしていた。
 町の色は茶色だった。社宅の木造建築も川の色も山の色もみんな茶色だった。町の全てが恐怖の対象だった。
 次に移り住んだのが、紀州にある鉱山であった。その鉱山の歴史は知らないが、以前いたとこよりは奇妙な建物は少なかった。その頃はもう中学生であったので建物に対する恐怖心はあまり感じなかった。しかし「人」に対する恐怖心を抱くに充分な事件が何度もあった。
 鉱山なので荒々しい男たちが集まっていた。祭りなどがあると、年中行事のようにケンカがあった。男たちがナイフをもってハデに闘いをした。どちらかが刺されて血を見た時が決着であった。駄目を押すようなことはなかったが、それで死ぬ人も珍しくはなかった。
 男女関係の結末も、派手な決着の付け方をしたのがあった。独身の若い男女の別れ話がこじれ、男による無理心中が行われたのだ。まだ子供であった私の前を、ナイフを横腹に刺され青白い顔をした女が助けを求めてよろけるように走って行った。とほぼ同時に大きな爆音がした。男が部屋でダイナマイト自殺を図ったのだ。私はそちらのほうにすっとんでいった。二階の部屋でそれは行われたらしく床が抜けていた。壁には赤く肉片が飛び散っていたが、人の形をしたものがどこにあるかわからないうちに、大人の人に外へ追いやられてしまった。
 女は命をとりとめたが、その時の建物のまわりに男の半分肉のない幽霊がでるという噂が出て、私は何の疑いもなくそれを信じた。母に隠れて、幽霊を見ようと一人でよくでかけた。時々黒い影を見たが幽霊とは確認しないうちに私は家へ逃げ帰ってしまっていた。いつまでもゾクゾクと恐かった。
 高校を卒業して東京に出てきたが、街は昼も夜も明るく人が多くてなぜか不思議に安心した。建物もスマートでとてもきれいな感じだった。あちこち人がいて幽霊の出没するすきなどありはしないと思った。いっぺんに東京が好きになった。
 子供の頃の故郷よりも、東京の喧騒のほうが安心できるという人は少ないだろう。それは不幸なのかどうかは知らないが、私にはそれほどまでに子供の頃の怖い思い出が心に焼き付いていた。
 しばらくして、東京の大きな会社に就職した。なんにも怖いものなど感じない日が続いたが、ある日、地下鉄で私の上司が自殺をした事件が起きた。帰りが同じ方向なので、よく地下鉄の最終に一緒に乗った。時には仕事で遅くなり、時には飲んで遅くなった。地下鉄の最終尾に乗るのが二人の習慣であった。その日も二人、一緒だった。薄暗いトンネルの方を見ていると電車の明かりが見えてきた。
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私は一歩後ろに後退したのだが、彼は一歩前へ足を進めた。飛び込み自殺だった。
 企画部門だったので、上の方の贈収賄事件に巻き込まれたらしかった。
 それ以来私は地下鉄のトンネルが怖くてしかたなくなってしまった。それからは、いつもバスを利用することにしたが、その感じも時間とともに次第に薄らいでいった。
 仕事はとても順調であった。いつの間にか課長の要職についた。しかし、途端に株の取引関連の贈収賄にからんだ事件に巻き込まれていった。つらい日が続いてた。するとどういうわけか、子供の頃の怖い想い出を思い出すのだ。一種の逃避現象としての、故郷回帰なのだろうか。ひとつひとつの事件のゾクゾクとした恐怖感が鮮明に思い出されてならない。怖い。とにかく何か怖いことが起こりそうな気がしてならない。
 私は少しノイローゼ気味になっているだけだと自分に言い聞かせた。元気をだせ。もうここは鉱山なんかじゃないんだ。何も怖いもんなんかありはしないんだ、と自分に言い聞かせた。すると、気持ちがすうっと落ち着いたような気がした。
 夜もかなり更けていた。なぜだか、その日に限ってバスでなく、地下鉄に乗って帰りたくなった。意味もなく、地下鉄のトンネルが坑道に見えた。
 トンネルの向こうからこちらへ向かって来る地下鉄の電車が、なんだかとてもなつかしく思えて、足が一歩前進するのを感じた。