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 スリル




 いつの間にか万引きをするようになっていた。
 世間ではよくあるように生活が苦しくてやったわけではなく、やはり言葉では言えないスリルに魅せられたといえるだろう。
 彼女は二年前に結婚した、いわば普通の主婦である。
 夫は、教養もありスタイルもよく、背広姿のよく似合う映画スターのような美男子だった。その上、スポーツマンで話上手でもあった。同じ会社にいたときは、誰が彼を射止めるのかと、女性たちの間で噂の的となっていた。それだけの男だから当然プレイボーイでもあった。
 しかし何故か、どちらかといえば消極的な目立たない彼女が結婚相手に選ばれた。そのときの周りの驚きは大変なものだったが、彼女自身も天にも昇るような気持ちだった。地に足がつかないまま結婚した。
 ところが夫は一年もたたないうちに家庭を顧みないばかりか、浮気の虫はとどまるところがなくなっていった。ときには相手の女を、堂々と家まで連れてくることさえあった。それでも、彼女は何の不平も言わずに耐えた。だが何日も何ヶ月も放っておかれると、やはりさびしさはつのった。
 そんなある日、近所のデパートの下着売り場で無意識のうちに、品物を自分のバッグに入れてしまっていた。それを誰も気がつかなかった。そのときは、一度入れてしまったものを元に戻すと怪しまれるのではないかと思いそのまま持って帰ったのだが、次に行ったときは、今度は自分から積極的に万引きをやってみたい気持ちになっていた。
 その心理状態を他人に説明するのは難しい。単に欲求不満のはけぐちとしてスリルを楽しむというには危険が大き過ぎる。けっして警察に捕まらないとも思っていない。これは悪いことだと思いながら、ある「状態」になるとなぜか気持ちを抑えなくなってしまうのだ。無意識の夢のような世界と現実との区別がわからなくなっているようにも思える。とにかく夫との間がうまくいかないことが、そういうものに走らせているということだけは、客観的にみて間違いはなさそうだ。
 デパートの監視カメラの眼は厳しい。しかし、その位置を確認し盲点を発見し混雑具合いを調べ、万引きするのに絶好のチャンスというものがあるのも、わかるようになってきた。少なくとも商品ケースの陰の床はカメラには入らないようだ。ただ、そのときの動作が問題になるだけだ。
 よく定期券の期限の切れたのを知らずに、改札口を通り抜けてしまうことがあるが、それを知っていてやると、改札係に御用となってしまうと言う。改札係は定期券を見るのではなく、人の顔や動作を見るのだと言う。
 デパートのカメラの向こうの監視人を欺くためには、オドオドしてはいけないのだ。「習うより慣れろ」で、彼女はいつともなくそのコツも覚えていた。
 彼女はゆうゆうと何度も商品を自分のバッグに入れることができるようになっていった。何軒かのデパートやスーパーを回ることが半ば日課の一つにもなっていた。だが、そうなると、
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それも何だかつまらなくなってしまった。
 彼女は今度は盗むのではなく、食料品売り場の商品に、毒物を入れたらどうだろう、と思うようになった。犯罪としては、きわめて大きいものであることはもちろんわかっていた。人を死に至らしめるようなことは、やはりできない。せいぜい下痢をおこす程度の毒物を品物に混入することにした。あらかじめ、同じ品物を買っておき薬物を注射針で混入し、売り場にそれを置いた。それはいとも簡単に成功しただが二度三度やると、噂が大きくなった。これ以上やると危険だと思い、しばらくの間おとなしくしていた。
 だからといって夫が自分のもとへ戻ってくるわけではなかったので、欲求不満はまた大きくなった。しかし今度は、悪いことなどしないで、長続きする趣味を見出すことに心がけることにした。何日か後に、これはというものに巡り逢った。
 それは陶芸教室だった。思ったよりずうっと面白かった。やれば、やるほど奥行きが深く創作の面白さに満足していた。時には地方の窯元まで行って、自分の気がすむまでそれに没頭することもあった。もともと金銭的には裕福であったので、自分の家に作業所も作った。しばらくはそんな日が続いた。自分で満足のいくものは、そう多くはできなかったが、持て余す時間を潰すには、もってこいの趣味と言えた。だが、それでも、何か、物足りないものがあった。
 それは、スリルであった。他人の眼を盗んで何かをする時の、身体中に感じる、あの、ゾクゾクとした、奇妙な快感が物足りなかった。
 彼女はまた、いつの間にか、デパートに通うようになった。だが、以前のような、万引きや下痢を起こさせる程度の悪戯ではつまらないように思えた。と言って何をしていいのかは思いつかなかった。何か、とんでもない大きなことをやりたいと思っていた。
 そう思いながら何日かそこに通っているうちに、デパートの戸締りの仕方や、従業員や業者の動きまでわかるようになってきた。
 そんなある日、彼女は、これは、という素晴らしい悪戯を思いついた。ただ、商品を盗むのではなく、自分の作った陶芸作品を、そっと、このデパートのものと交換してしまおう、と思いついたのだ。さいわい、家には土も粘土もある。これで自分の作品を作りデパートの物と取りかえてしまうことにした。
 やはりデパートに置くには置かれてあるものと似ていなければならない。時間がかかった。まさに、夜も寝ないで、必死に頑張った。
 出来た。
 頑張ったかいあって、彼女がいままで作った作品の中では、最高のものが出来た。
 もし夫がこれを見ることができたら、きっとほめてくれるにちがいない。もしかしたら、自分を見直してくれるかもしれないと思えるほどの傑作であった。
 さっそく彼女は勝手知ったるデパートに業者を装って、堂々とそれを運んだ。見る程にうっとりするほどの出来映えであった。
 彼女はそれを置いて家に戻った。それを人が見た時の反応が楽しみでならなかった。
 時間を待つのが苦痛な程であったが、デパートの閉店時間に売り場にとんでいった。そこは、やはり、大変な人だかりであった。思ったとおりであった。人が近づこうとすると、なぜか警察の人が制していた。
 彼女は、もっと、見せてあげればいいのに、と思った。
「この中には、最愛の夫が入っているのだから、いいのはあたりまえよ」
 彼女は、
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ひとり、微笑んだ。
 そこには、夫そっくりのマネキンが、英国製の背広をきて、ポーズをとっていた。