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 後悔

 浅川の橋の下に住むようになってから五年が経過した。仲間たちと無言のうちに強い絆が出来ているように思う。
 浅川というくらいだから大河ではない。東京の西の八王子市を通る川で、奥多摩から流れてくる多摩川に合流する。台風などで大雨が降らないかぎり水量が多くなることはない。しかも今では護岸工事がしっかりしていて、かなりの水量となっても堤防付近まで水位が高くなることもない。
 川幅はかなり広い。だから普段は川の真ん中を、申し訳なさそうに細々と水が下っていくかのように見える。殺風景な感じがする。
 そんな川でもシラサギやカワウなどを見ることがある。近くの電線に大量のハトがとまっている。山で見るキジバトとは明らかに違うから、かつては人に飼われていたものが野生化したのだろうか。
 その川にかかる橋はコンクリートでできていてかなり大きい。
 だが六〇歳を超えた私には、昔からこんなに橋が大きかったという記憶が蘇らない。川幅も橋ももっと小さかったような気がする。
 人はたいがい子どものころの光景の方が大きく感じ、大人になって、久しぶりに昔の場所を訪ねると、こんなに小さかったのかと思うものである。何が基準となっているのかは知らないが、子どもの目に映る世界と、大人の見る世界とは、大きさが違う。
 だが、今ここは、それとは逆に思える。昔は、川幅もかなり細く、橋も小さかったに違いない。しかも橋は木でできていたような気がする。印象としては、なんだかみすぼらしい橋があったような気がする。
 それを、いつの頃か、何んらかの事情で今のような川幅を確保し、橋もしっかりしたものにしたとしか考えられない。
 私は、その浅川の流れる東京の八王子市で生まれて小学五年生までそこで育った。生まれ故郷と言ってもいい。ただ父親が和歌山県に転勤となり一家みんなでそちらに移り、そこに定住することとなったので、いわゆる実家というものは八王子市にはない。
 私は大学が東京だったので就職会社も東京となった。そのまま東京都心に住むこととなった。今はすでに両親もなく、和歌山県に建てた家には弟の家族が住んでいる。

 最近時々、子どもの頃のたわいもないことを思い出す。
「食べてすぐ寝ると牛になる」と母親に言われた。子どもの頃は、八王子市もかなり田舎だったので、牛を飼っている家もあった。牛を見るたびに、この牛は誰がなったのだろうと思っていた。
「火遊びをするとオネショする」とも言われた。
 今でもその言葉の真意をはかりかねるものもある。
「お前はあの橋の下から拾ってきた」と言われたこともあった。その言葉だけが鮮明に蘇るが、「悪い子だと捨ててきちゃうよ」という言葉が、その後に付いていたに違いない。奇妙に、そんなことを言われても、子ども心に傷を負うことはなかった。母親に捨てられまいという気持がよほど強かったからなのか、不思議な気がしてならない。
 サンタクロースに対して疑いを持つようになったのも、周囲の友人よりも、かなり遅れていたように思う。
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 私は中学生の頃、野球をやっていた。それ以降、球を触ったこともないほどに野球からは遠ざかっていた。
 子どもが小学生の頃、親子ソフトボール大会というものがあった。私が四〇歳の頃だったと思う。試合は子どものチームが負けていたが、その回、二アウト満塁となっていた。その時、
「お父さん、ピンチヒッターで出てよ」と子どもに言われた。もちろん引き受けなければならない。子ども相手に本気ではないように装い、バッターボックスに立った。
「うちのお父さんは元野球部だったんだ。これで決まりだよ」
 子どもの声が聞こえた。やや本気モードとなったが、一球目は見送った。子どものソフトボールといえども、球は速かった。ストライクだった。二球目は思い切りバットを振った。かすりもしなかった。速い。とにかく想像以上に球が速い。振り遅れているのが分かった。そして三球目、球はど真ん中にきたが空振りだった。
「なんだよ、お前のオヤジ、本当に野球やっていたのかよ」
 子どもの友達の声が聞こえた。
「知らねえよ。オヤジがそう言ってたんたでから」
 子どもの声は、ひるんではいなかった。少なくとも、イジメられっ子ではないことだけは確信できた。

「お前さあ、生まれてから今までで後悔していることはねえか?」
 私より二、三歳は上だろうと思われる、ここの、多分かつては大学の教授と思しき仲間が声をかけてきた。ここの仲間は、誰もが太っているという感じの者はいなく、丈夫だった。
 私は、大学を卒業し、大企業に就職し、子も授かった。家も建てた。平凡だが不満のない生活が続いていた。だが大企業とはいえ、猛烈なリストラの嵐に巻き込まれてしまった。会社は倒産した。職を失った。五十五歳の時だった。そんな歳で、折からの不況の時期に、新しい職があるはずもなかった。
 職もなく偶然、ここを通りかかっただけのことだった。私がここに居ることを家族は知っている。散々話し合いをして、私の気持ちを理解してもらった。家、財蓄などの資産はすべて家族に残し、ここに来た。家族がここに来ることはない。それが約束でもあった。
 
 雰囲気がゆるやかな気がした。腕時計は必要ないことが、後から分かった。空が明るい時が昼間で暗い時が夜だった。
「後悔ねえ……、親子ソフトボール大会で三振したことかなあ」
 私はそう言った。
「そうよなあ、人の何が大事で何がいらぬことかは、他人には窺い知れぬものなんだよなあ」
 仲間はそう言いながら、話を続けた。
「オレはなあ、子どものころ、母親に言われた、『橋の下から拾ってきた』という言葉はさあ、実は、ずうっと昔から言い伝えられてきた、人間の生きる本質を言ったんじゃないかなあと思っているんだ。存在の途方も無い不確かさを考えると、どうもここに親しみがわいてくる。
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オレの後悔は量子物理学に、はまってしまったことなんだ」
 仲間は川の流れを見つめながら言った。
「物質の存在というのは確定的ではないということか? 自分には生まれて来た時のことを自覚できないもんなあ。まして、この世に生まれてきた理由など分からない。それにさあ、死も自覚できない。オレたちには、始まりも終わりも無いんだよなあ。中間の時間だけを授かっているということなのかなあ……」
 私はそう返事をした。だが仲間は、川の方に視線を向けたまま、まったくの無表情だった。

 この強固なコンクリートの橋下に、ダンボールと寒さと雨よけを兼ねた大きなビニールで「ハウス」を築いているものは、六人だ。
 みな明るい。それぞれの事情は干渉しない。ただ、不文律みたいなものがあって、若者の侵入は許されない。
 何かを得ようとするより、何が捨てられるかを、突き詰めていったら、私はここにいた。それだけのことだ。大仰な思想などは持っていない。
 気持いい。
 そろそろ陽が落ちるころだ。河原のススキの穂が夕凪に揺れていた。