1 / 3


 喋らない子供(砂糖と塩のショートショートより)


 彼ら二人は結婚をして以来、なかなか、子供のできる徴候はなかった。医者に調べてもらっても原因はわからなかった。妻の精神的な要因もあり得る、というので転地療養的なこともしてみた。しかし依然効果はなかった。
 そのうち夫が外に女をつくってしまった。夫婦の関係は急に冷えてしまった。それは子供ができないせいだと思った。しかも子供のできない原因が自分の側にあるような気がして妻は悩んでいた。妻は以前にも増して、神頼みするようになった。何がなんでも子供が欲しかった。
 彼は自身が浮気をしていても罪の意識はなかった。そして妻も浮気でもしてくれればいいとさえ思った。それでお互い、責任は五分五分なんだけどなあなどと思ったりもした。
 しばらくすると、突然、子供ができた。妻はおおいに喜んだ。彼も現金なもので今までの自分の行動などすっかり忘れて妻に優しくなった。妻はとにかく結婚して以来一番の幸福を味わっていた。
 子供は男の子であった。見たところ普通の子供であるのだが、生まれた時から妙に大人びた顔をしていた。
 そして、一見、他の子供とかわりなく成長していくように見えたのだが、かなりおおきくなっても、なぜか言葉を喋らないのだった。多少の遅れはよくあることだと医者に言われたのだが、それにしても、いつまでも喋る気配はなかった。本質的な言語発生能力がないのではないらしい。何かを言おうという意思がまったくないかのように、いつも無表情なのである。笑うでもなく怒るでもなく、泣くのでもない。ただ無表情に呼吸をしているだけなのである。顔がにくたらしいということもない。どちらかというと、色白でかわいい美男子タイプといってもいいような顔形をしているのである。
 知能が遅れているというのでもない。食事も普通にとるし、他の同じくらいの友達とも普通に遊ぶ。何も言葉を喋らなくても、子供たちは楽しそうに遊んでいるのである。
 夫婦は心配になって、更にいろいろな病院を訪ねたが、原因はわからなかった。夫の会社の同僚がよく遊びに来るのだが、話かけても、笑うでもなく怒るでもなくという表情をしたままで、何も喋ろうとはしなかった。あまりかわいくないね、と同僚は言った。
 夫婦は子供が何か喋ればいい、と毎日思い続けていた。
 そんなある日、「おじいさん」と、一言、喋ったのだった。
 二人はびっくりした。なぜ突然喋りはじめたのかわからなかったが、とにかく、一言でも言葉を言ったということでお祝い気分だった。二人は、その夜、ひさしぶりに、あたたかい肌のぬくもりを感じあっていた。
 そのとき、電話がなった。実家からだった。「おじいさん」が亡くなったという知らせだった。しかも竹藪で転んで、竹の切り口で喉をついて死んだということであった。竹は、喉を見事と思うほどにつきぬけていたという話しだった。
 子供が、「おじいさん」と言ったとたんに、おじいさんが事故死したということが、気持ち悪かった。二人は偶然だよ、となぐさめあった。
 それ以降、子供はまた何も喋らなくなってしまった。ある日、二人は、あれは何だったんだろうと子供を見つめていると、子供が、ニコリとかわいい顔をして笑って、「ママ」と言うのだった。
2 / 3



 妻は、おじいさんの事件のことなどすっかり忘れて、初めて子供が自分のことを呼んでくれたと、これ以上の喜びはないかのようにうれしかった。
 二人はその夜もやさしい肌のぬくもりをたしかめあった。その夜は以前とは違って、いやな知らせは何もなかった。
 翌日、夫は嬉々として会社に出かけた。そして、彼が帰宅すると、いやに家の中が静まりかえっているのだ。急いで家にあがって、そのまま寝室を覗くと、なんと、妻がベッドの上の天井からロープをたらして、首吊り自殺をはかっていた。その下で、子供が声にならない声を出しながら、笑っているのだ。
 夫は気が動転して何が何だかわからなくなってしまったが、ともかくも、近所の人が色々と面倒を見てくれて、数日後には、事件の喧騒もおさまっていった。
 子供と自分だけが、とりのこされた。彼は会社を休まざるをえなかった。しかし、そんなことよりも、この子供と一緒にいるのが、妙に気持ちわるかった。
 子供が何かを喋ると、不吉なことがおこるのではないかと怖くてならなかった。いや、そんなあまい恐怖ではなかった。「おじいさん」と言って、そして「ママ」と言った。その両方とも原因のよくわからない事故死をとげた。
「この次は自分では……」
 という恐怖と緊張が身体全体を硬くさせた。
 きっとこの次は自分だと思うと、我が子ながら、殺してしまった方がいいのではないか、とまで考えた。しかし、それはできなかった。やはり自分の子供に違いはなかった。ただただ、自分の名前を呼ばないように祈るよりほかに手立てがなかった。
 昼、疲れてウトウトしていると、誰かが自分を起こそうとしていた。身体に手を当てて、何かを言っているのだ。目をあけて彼は驚いた。我が子が、「パパ、パパ」と言っていたのだ。
 彼は、恐怖で気が狂わんばかりだった。こうなると、一人で部屋にいるのには耐えられなかった。かといって、外には出たくなかった。事故に遭う危険性が高くなるような気がした。しかたなく、一番の親友である会社の同僚に、一日でいいから泊まりに来て欲しいと頼んで、来てもらった。この家には何回も来ているので親しみもあった。とにかく今までの例だと一日以内に何かあるようなので、その間だけ、じっとしていようと思った。子供を別の部屋に寝かせて、同僚と二人で同じ部屋に寝た。
 いつのまにか眠り込んでしまった。どのくらい時間がたったろう。しばらくすると、となりの部屋で奇妙な音がするのだ。同僚がいない。何かあって同僚がかけつけていってくれたのだな、と思って、おそるおそる隣の部屋を覗いた。
 すると、テーブルの上に同僚の首が、血まみれになって置かれていた。その形相は何かに向かって叫んでいるような感じだった。首の下からは肉片がはみ出していて、とても凝視できるような状況ではなかった。 ふと、そばを見ると子供が、右手にのこぎりをもって、それを見ている。
 それを見ながら、「パパ、ママ」とつぶやいていた。
 それ以来、子供は急に普通の子供と同じように喋るようになった。
 何事もなく、親子のまま大人へと成長していった。彼は事件の一切を子供に話しはしなかった。
 そして、その子は結婚して幸福な人生を送り、子供までできた。
 だが、
3 / 3


ある日彼は、その両親の会話を聞いてゾッとしてしまった。
「この子、なかなか喋らないわねえ……」