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 東京都の一番西に、八王子市はある。そこは、ここ数年の間に、多くの大学が移転してきて、その数は二十校を上回る。ある意味、学生の街とも言えるが、東京都心までも、そう遠くはないので、ベッドタウンとしても発展途上にある。その分、マンションゃアパートの数も多い。
 朋子の通う大学は、繁華街からは遠く、大きな自然の森に囲まれている。多くの学生は、最初は大学の近くにあるアパートを借りるのだが、次第に、繁華街にあるアパートに移っていく。若さには、自然の美しさより、人工的なネオンや、知らない人たちで溢れている雑踏の方を好む傾向にある。
 朋子は、そんな先のことなど深く考えもせず、不動産屋に行った。とにかく、目標の国立大学には入れず、私立大学に入ったので、できるだけ安いアパートに入居したいと考えていた。いくつかの条件をつけて依頼をすると、パソコンから、数枚のデータのぺーパーが打ち出されてきた。どれも、何がよくて、何が悪いのか、朋子には判別はできなかった。
「これらは、みんな女性専用のアパートなんですか?」
 朋子は聞いた。
「そうですよ。セキュリティも、みな、しっかりしています」
 不動産屋はさりげなく言った。
 だが、その中の一枚に、特別、家賃の安いものがあった。大学まで徒歩で歩ける距離にあり、写真で見るかぎり、外観も悪くはなく、室内もきれいに見えた。ただ、空室の数は多かった。
「ああ、これは、うわさのアパートなので、なかなか人が入らないんですよ。ある部屋で、カラスが住んでいるとか、実際に自殺した人もいるんです。私も、これは薦められませんねえ」
「家賃が書かれていませんが? この部屋は……」
 朋子は事態の深刻さよりも、家賃を気にした。
「この一室以外でも、うわさの影響があり、相場の三割は安いんです」
「この部屋は?」
「家主は一円でいいと言っています」
「携帯電話の値段みたいねえ。そんなに、恐怖のアパートなんですか?」
 朋子は、不思議な思いを感じて聞いた。
「あなたは、めずらしい人ですねえ。これだけの話を聞いただけで、みんな、そのアパート自体を避けるんですがねえ。一度、その部屋を見てみますか? 私もしばらく、その部屋の点検をしていませんし……」
 不動産屋が、やや及び腰でドアのカギをあけて、ちょっと間をおいて、室内に入っていった。朋子はその後を追った。八畳間くらいのフローリングの部屋で、バスもキッチンも付いていた。あまり使用していないせいか、むしろ、かなり、きれいな部屋に見えた。もちろん、カラスなどはいない。窓もしっかりしていて、カラスの入った形跡などは、まったくなかった。
「ほんとうに、カラスを見たんですか?」
 朋子が聞いた。
「いや、うわさだけで、私自身が見たわけではないんです。でも、自殺はほんとうですよ。失恋が原因らしいんですが」
 不動産屋も、
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別に、ここに入って欲しいという熱意がないのだろう。特段、ここを薦める様子は見られなかった。
「ここにするわ。わたしは、迷信的なことは信じないタイプだから平気よ」
 と朋子が言うと、不動産屋はおどろいた様子だったが、所定の書類を書いて、ともかくも、その部屋に入居することとなった。
 翌日は、父親も来て、家財道具も揃った。
 それから、何事もなく一週間が過ぎた。もともとの親友だったミキも遊びに来た。ミキは、この部屋のうわさを知っていた。
「ほんとうに、何もない? わたしは、この世で、カラスが一番嫌いなのよ」
 と、真剣に聞いた。朋子は、見ての通りよと答えた。ミキはそれで納得した。それだけではなく、ミキは八万円もする繁華街のアパートに住んでいるので、生活費が苦しく、週に何回か、スナックでアルバイトをしていた。わたしも、ここにすればよかったわと言った。そして、とんでもないことを言い出した。
「ねえ、ルーム・メイトになってくれない。今のわたしの家賃の半分、四万円を払うからさあ。最近、酒飲みオヤジの相手をしているのが、とても精神的に疲れるのよ。実は、かなりの年配の男にストーカーにあっているの」
 朋子はおどろいたが、部屋的には、二人で暮らすのに支障はないと思えた。
「ちょっと待って……。わたしは何もしないで、四万円ももらえるの。それって、わたしは、得のしすぎじゃない」
「わたしも半分の四万円で済むし、バイトしなくていいから、それでいいのよ。それに、一人住まいは、案外、無用心なのよ」
 話は、とんとん拍子にすすみ、数日後には、同居が始まった。いくら親友とはいえ、プライバシーは確保しなくてはならないということで、真ん中に、カーテンをつけた。寝る時以外は、カーテンが引かれることはなかった。だが、天井についている蛍光灯のライトは、それぞれのベッドの真上に付け直した。朋子もミキも、寝たままでライトを消せるように、ライトを消滅させる糸の線を、ベッドから手を伸ばせば届くほどに長くした。
 朋子は思った。今日一日の終わりは、いつも天井をみつめ、ぼんやりとし、ライトの線を引くことだと考えると、何か、その糸の線が、奇妙に楽しくもあった。
 ある日、朋子が実家にいき、数日後の深夜に部屋に戻ると、ミキが真っ青な顔をして、
「助けて!」
 と叫んでいた。朋子がどうしたの? と聞くと、
「カラスが来たのよ。そして、ライトから垂れ下がった糸をわたしの首にまきつけ、締め付けようとしたの。その時、朋子が来て、カラスは窓から逃げて行ったの」
 朋子は窓を見たが、開けられた様子はなかった。糸が首に巻きつかれていたのは確かだった。カラスが糸を切ったのか、ミキ自身でその糸を切って自分の首に巻きつけたのか、それは分からなかったが、自分一人で、その糸で、寝たまま自殺をはかるのは困難だと思えた。
 ミキは怖いと言うので、その夜は、ホテルを探し、二人でそこに泊まった。
 朋子は、それ以降もそこに住み続けたが、カラスを見たことはなかった。そんなことがあったので、机の上にカラスが見えたような気がした時があったが、よく確認すると、何もなかった。朋子は、特段、カラスに嫌悪感を持っていない。鳥類の一種ではないかとしか思っていなかった。
 とある日、
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精神科の医者と話す機会を得た。その時、日本では、カラスの幻覚を見る人は多いんです。一人住まいの人が部屋に入ると、ソファにカラスがいたという人がいます。、統計的に一番多いのは、深夜に、車に乗ろうとしたらシートにカラスがいたという人ですねえ。車はドアの開け閉めが多いからですかねえ。闇にまぎれて、さっと入ってくるように感じるんでしょうか。だが、その人にとっては、ほんとうに、そう見えているんですよ。ウソを言っているわけではない。よほど、日本人はカラスがきらいなんでしょうねえ、と言った。
 しばらくして、ミキは、車を運転している最中に、後部座席にカラスがいたのを、バックミラーで見たと言って、恐怖感にかられ、大学をやめ、実家に帰ってしまった。