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 書く前に読もう超明解文学史

 表題の本は、三田誠広氏の書いた本である。早稲田大学文芸科創作教室の講義が土台になっているようである。1996年9月に発行されている。現在2010年2月だから、約14年くらい前のものである。家の本棚に置いてあったので、この2月15日に、何げなく手にして、読んでみた。もともと文学史というだけで、私には負荷が大きく、つまり精神的に、大作家の羅列に負けてしまうので、なるべく、そういうものから遠ざかろうとしていた。だが、たまたまの、会社の出張だったので、たまには、こういうものも読んでみようかと思った。読んでみて、なんと、大学や高校で学ぶ文学史などとは、まったく違うのだ。歴史観は鋭いことは当然なのだが、これから「小説を書こう」としてい人のための、つまり創作者のために、徹底的に視点、焦点を置いて書いてくれているのだ。これが文学史なのかというほど、「書くというノウハウ」を得られるようなものであったのだ。私にとっては、三田誠広氏は、雲の上の作家と思っていたが、かなり意識して、私たち、これから小説を書こうとしている位置まで、降りて来てくれている。こんな素晴らしい文学史の本があるなんて、信じられないほどだった。
 おそらく、今の文学青年などには、これほど役に立つ本はないであろうと思う。とにかく、「今の自身の立ち位置の確認」が、きっちり出来るという点で、とてつもなく、役に立ち、しかも、一定の教養を得ることもできる本であるのだ。
 対象は、若者ではあるが、私は現在64歳である。来年には会社定年の65歳になる。それでも、激しく衝撃を受けた。
 三田誠広氏は、サラリーマン作家に対しては、そんなに好意的ではないのではないようにも読める箇所もあるのだが、それは個の問題として、私自身は勝手に、芸術に年齢・職業は、関係ないと、私流の哲学で解決してしまおうと思う。それと、私は理系大学出身なので、文学史的に残る作家も、現在の作家のものも、小説を、ほとんど読まないし、知らない。理系関係の雑誌などは、いつも楽しく読んでいるのだが。それでも、小説らしきものを書いている。まあ評価が高いはずはない。それでも、どうしても、我が人生に、「言葉」が必要になる。だから、小説を書く。そうしたら、この本の中に書かれている本を全部読もうなどとするより、「まず書こう」というような趣旨のことが書いてあった。それは、私には、大きな勇気になった。
 話は、少し逸れるが、2010年2月16日の朝日新聞に、大江健三郎氏が、最初は短編を書きながら、その積み重ねのうちに、自身が何を書きたいか見えてくる、というようなエッセイのようなものが載っていた。
 偶然ではあったが、それで、「私には書きたいことがある」と、はっきりと自覚できたのだ。
 まあ、情けないと言えば情けない話ではある。65歳などという年齢は、普通なら、文学の世界でも、円熟の境地に達しているものであろうが、「これから書く」というのでは、世間からは相手にはされないのではないかと、容易に想像できる。それでも、今までで、はじめて、ちゃんと小説を書こうと、決意するに至った。そう思ったのだから、「書くしかない」と思うのだ。だから、書く決心をしている。
 おおげさに言えば、文学史に残るものを目指していこうとさえ、思いはじめている。それに対して、まったく、先が見えていないわけではない。自身なりに、新しい「立ち位置」が見えてきたのだ。
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それを徹底的に書いていくしかないだろう。成功するか失敗に終わるかは、分からないが、ここまで人生を経験してきた蓄積はあるので、若者には見えていない何かがあるのではないかと思う。それしか無いのだから、それを書いていこうと思うのだ。
 キィワードは、「絶望」というものだ。絶望の底から、何が見えるのか、そこのところを、しっかりと書いていければいいと思っている。書く目標が見えてくるのは、案外、楽しくもある。書くことが楽しいということなどあるのかどうか分からないが、どうせ、「絶望」の底にいるのだから、あとは、書くだけだろう。
 他人に、私ごときが、これはよい本だなどと薦めるのは生意気すぎるとは思うが、「書く前に読もう超明解文学史」は、ぜひ読んでから、小説に挑戦してみたらと、自分勝手な感想を持っているのだ。理系の本からは、私は生きるヒントを多く得てきた。文系の本、小説も含めて、はじめて、我が人生に、とてつもない影響を受けた。とにかく、小説を書こうとしているものには、必読の本だと、私は断言してよいと思うのだ。
 65歳の「小説家志望」の感想だ。若者に何んの足しにもならないかも知れないが、私は、覚悟を決めて、若者と競争していこうと決心している。