書きあぐねている人のための小説入門
[2011/07/22 01:04]

ここの管理人さんが、『書きあぐねている人のための小説入門』(保坂和志)を薦めていたので読んでみた。小説作法というより小説論というようなものであろうかと思うが、
すごい本だなあと思った。読んでみなけりゃわからないというような、とても深いものであるのだ。これを要約などしたら、作者にしかられてしまいそうなのだ。そう、たとえば、「あの小説はこのようなことが書いてあった」と言うとすると、それは、その小説の本質をまったく表していないというのだ。小説とは、「作者と読者との一対一の対決」とでも言おうとしているかのような言い方だ。それは、『絵画』を見るのと似た感覚のように思える。見て、どのように感じたかは、見た人によって、全然、異なったって、それはその人の絵の鑑賞のあり方なのだから、それでイイというようなものと似ている。
『小説の運動』という言葉を使う。それは書き

65歳という歳まで生きてきた。その間、やはり家族が健康で明るい生活を営んでいけるよう、その点だけは、相当、神経質な生活を送ってきた。男の子を2人授かった。元気に大人になった。2人とも小説を書くが、中身的には、すでに父親の私を追い抜いた技量を持っている。あとは、どんどん書いていけばいい。書くことを継続させていけばいい。その積み重ねのうちに、これだ! という自身の作品ができて、世の中に、多少は受け入れてもらえる作家にはなるだろう。
ただ、「身の程を知れ!」という言葉と、「あせらず、絶対にあきらめるな!」という言葉を、2人に贈りたい。
世の中、才能の優れた人の、なんと多いことか。自身が、そこまで達しているなどとは、うぬぼれてはならない。あくまでも、そこまで達しないから世間から注目されないし、新人賞なども
今回の津波のすごさは、とてつもなくすごかった。500キロにおよぶ海岸には、当初、打ち上げられた死体がゴロゴロしていた。外国の人々は、その映像を見て驚いた。あまりの悲惨さに、日本を応援しようとなったのだ。いまだに、世界の人々からの同情は大きい。原発への注目からではないのだ。
だが、日本人だけ、その映像を知らない。テレビは、それを映さない。あまりにも、表面事しかやらない。それを知っていれば、どこかの遊園地がオープンして喜んでなどいられないだろう。
本当の被害にあって、いまだ悲しみから立ち上がれない人のほうが多い。マスコミのありかたの正当性を、私は知らない。だが、いつだって、本当の、悲惨さは、隠されていることを、私たちは、知るよう努力すべきだろう。



私はいつもデジカメを持ち歩いている。人物を撮ることはめったに無い。ほとんど植物だ。理由なんて分からない。自分が生きている環境の中で、植物がよく目に入るからだろう。
上の写真・左は、シラカバの木だ。ではシラカバの木の花をよく見た人はどのくらいいるだろうか? 上・右の写真がシラカバの木の花だ。こんな花だったのだあと思う。私たちは、注意を払わないものは目に見えていても記憶に留めない性質を持っているらしい。

4月10日、山中湖畔を散策した。そこに、『ツノハシバミ』の花が咲いていた。垂れ下がった穂のようなものが、雄花である。左側の小さく咲いているのが、雌花である。3月~5月に花を咲かして。葉はその後につく、果期は9月~10月で、栗を小さくしたような実をつける。ヘーゼルナッツの仲間だ。これからの季節は、樹木をよく観察すると、やや長い穂が垂れ下がるようにして花を咲かしている木がある。それは、その木の雄花だ。花と言っても、花壇の花のようで