早野梓と樹海と

富士北麓に住んで30年が経ちました。その間、青木ヶ原樹海、富士五湖を中心に小説の舞台にしたり、四季折々の自然を楽しんできました。
これからも、さらに仲間たちと、それらの思い出づくりを積み重ねていこうと思っています。
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しばらくぶりの、めぐるほん![2012/01/14 02:20]
 特段、「めぐるほん」がなくても、わが生活には影響はしないのだが、なんとなく、日記とか、小説を、いくつか出してしまつたら、途中中断というのは、案外、困るものだ。とくに、日記などは直接ここに書いたものもあるので、あれはどうしたかな、と原稿を探すのに苦労する。こういうのは、管理人の都合というより、「ソフト上」の問題が多いようだ。なんとか、うまく続けて、ここから、作家が誕生するのを期待する。あるいは、こういうところで、ずっとコミュニケーションをはかっていきたいものである。「小説は苦節10年」なんて当たり前である。ちょっとした、はげましあいが、書く気力に、結びつくことだってある。
 私は、ここの管理人の正体が想像できない。まあ、プロとは思えない。でも、作家を目指している人には違いないだろう。私は、ここの管理人が、なんらかの『賞』をとり、正体を、あかす日の来る日を、5年でも、10年でも、待ちたい。きっと、まだ若い人だろうと思うから、私の考え方の、言葉を、おくりたい。
『何かをなしとげられるか、なしとげられないかは、あきらめないか、どうか、その違いだけだ』



富士六湖・オードリー春日若林さんと[2011/10/06 17:22]
昨年、オードリー春日・若林さんを、富士北麓の『幻の湖』ということで、水のない赤池という場所を案内した。水がないから、草ぼうぼうの平地だった。それが水にあふれると、富士五湖が、『富士六湖』となる。
今年は大きな台風があったせいで、精進湖の水かさが増え、赤池が現れた。
なぜ、そんな現象が現れるのかというと、赤池の位置は、精進湖と地下でつながっているのだが、通常は精進湖の水面よりより標高が高く、精進湖の水量が増えると、赤池が現れるという仕組みなのだ。
精進湖、本栖湖は、水面の標高が同じである。それらは地下が隙間の多い熔岩なので、つながっているのだ。
今は、その『幻の富士六湖・



乗馬…山梨・山中湖[2011/08/24 00:18]
                                                                                         乗馬というと、ちょっと馴染みの少ないもののようなものだと思っている人が多い。でも乗馬場が、近所にあって、すぐに、その場所に行けるとなると、また考え方が変わる。まあ、乗馬というものは、多分、思っているよりは、難しい。馬と人間との呼吸が合わないと、馬は、ちゃんと動いてくれないのだ。あれだけ大きい動物を、人間の思うとおりに動かすには、かなりの訓練がいるし、常に、下半身の筋肉に負担がいるほどの運動となる。でも、まあ、とても楽しい。乗馬セラピーという言葉があるくらいだ。馬との上手な付き合い方は、ちょっと面白い「動物」と「人間」の関係かなあと思っている。なぜか、「精神的に一種の解放感」を味わえて、かつ、「いい運動になる」、不思議なスポーツと言えると思う。




ナデシコ[2011/08/08 16:17]
            富士山の北麓に、梨が原高原がある。広大な萱原である。そこで、『白いカワラナデシコ』を見つけた。たった一つしか見つからなかったが、今のナデシコ・ブームの中では、なんだか、うれしく思えた。白いナデシコは、初めて、見た。もしかしたら、違う品種かと思って、よく調べてみたが、ナデシコに間違いはなさそうだ。もし、どこかで、白いカワラナデシコを見た人がいたら、ぜひ、この欄に公開して欲しいと思う。
『めぐるほん』が復活してよかった。一回ここに入ると、なかなか、他に、行きにくい。管理人さん、ご苦労さまです。いつまでも、『めぐるほん』が続くことを期待します。



なぜ小説を書くか?[2011/07/24 02:37]
               私は、要するに、ずっと物書きでいたいと、内心思っているのだろう。自分の事を言うのだから、別に、内心、などという言葉を使う必要はないように思うが、私の頭脳の範囲では、「生とは何か」というような事は、すでに、私なりに解決したと思っている。その解決というのは、もうこれ以上は、私には能力を超えていて、追究しきれないというものを含んでいる。だから、「何とは何」、「生とは何か」、「人生とは何か」、「これからどう生きようか」などという問題は、深く考える事はしないと思うのだ。しかし、解決したという事が、私の能力では届かないもは考えないという解決も含まれるので、そこらへんは、どうしても、言葉で、まあ、意味があるのかないのかよくわからずに、グダグダと、言い訳を言葉にするだろうと思うのだ。言葉にすると、ちょっと自身の何かが、見えてくるような時がある。だから、つまりは、「内心」、ずっと物書きでいたいと、思っていると、思うのだ




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