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早野梓氏のテレビ解説について
2010年6月16日、早野梓氏が、青木ヶ原樹海の自殺に関して、フジテレビで、解説をしていた。私も、富士山や青木ヶ原樹海、あるいは火山、植物には、相当程度興味を持っているのだが、それ自体に興味があるというものでは無い。
早野氏は、テレビや作品で見る限り、直接、青木ヶ原樹海の自殺防止なり、自然環境保護をやっていて、そこから、小説が生み出されているのだろうと思えた。かつて、青木ヶ原樹海と足尾銅山とを対比させて、人が自然破壊をすることの怖ろしさを、テレビ番組で、訴えていた。つまり、早野氏には、先に樹海なり、生まれ故郷と思われる足尾銅山があり、そこを書くことが、自身を書くことに、つながっていくように思える。舞台をただ書くことだけでも、すさまじい生死の世界を描けるのだと思うが、その舞台が、作者にどのくらいの重要性があるのかは分からない。よく氏の作品を読むと、樹海を舞台にしながら、脳の話や遺伝子の話が出てくる。それは、舞台が、青木ヶ原樹海ではなくとも、書けるのではないかと思われるのだが、樹海という、生死の境界線上のような世界からの言葉の発信であると、妙に迫力を持つなあと思う。
私も、そのうち、樹海を舞台にした小説に挑戦しようと思っている。しかし、あくまでも舞台として以上の興味は無い。もし、青木ヶ原樹海が自殺の名所でなかったならば、そもそも青木ヶ原樹海には興味さえ抱かなかったと思う。私が興味があるのは場所ではなく、自殺という死の選択の意味についてだ。それが日本で一番場所的に多いという樹海に興味を持ったまでのことである。少なくとも、他人の樹海での自殺防止の活動には興味は無い。
それならば、樹海でなくてもいいのではないか、と思わなくも無いが、樹海をこまめに取材してみると、とても色々なものに出くわす。人間模様もそうだが、富士山、火山、植物、動物、温暖化、不当投棄問題、自然と人の力のバランスの問題など、そこを歩くだけで、多くのものが得られる。しばらく、樹海に通って、小説のヒントを得たいと思っているのだが、私の場合は、早野氏のような、現実的な活動には全く興味が無い。それで氏がどうのこうのと言っているわけでは無いのだが、小説の舞台を越えて、なんらかの活動をしている人の言葉には、とても迫力があった。とくに、ロープがクギで打ち付けられている場面の解説では、氏の言葉の悲しみのようなものがよく伝わってきた。「こんなに強固に死を覚悟できるものなのか?」という言葉は、とてつもなく衝撃的であった。