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 小説とは、言語を構築して、一つの世界を創造することであり、その技術が、何より肝要である。その際に、情景描写や、心理描写、感覚に訴えるものか、理論的であるか、とか言語を駆使する要素は、いくつか、あるであろう。それらは、あくまで、言語の技術の問題ではあるが、その上手い、下手が、ほとんど、小説の価値を決めてしまうのが、小説であろうと思う。言語という道具を遣うのだから、それは当然と言えば当然なのである。
 だから、小説家の一番大事なのは、言語構築技術、すなわち、筆力があるかないか、ということになるのだと思う。とにかく、いい小説家になるには、言語構築技術を磨くより他に方法はない。その道まっしぐらである。そうと決めたら、毎日毎日、片時も忘れずに、言語構築の技術を磨いていき、目標を必ず達成するんだという努力の継続が必要だと思うのだ。幸い、小説を書いていくのに、年齢は関係ない。永久に努力し続けていけばいいのである。生涯、言語職人という体であろうか。
 ところで、今、小説を書くのに、年齢は関係ないと言ったそばから、実は、小説には、年齢が大事だと思うのだ、ということを言いたいと思う。年齢というのは、例えば、20歳の人が、65歳の人の気持ちを、うまく書けるか。あるいは、結婚していない人が、夫婦関係を。子どものいない人が、子どもへの愛情のことを。そういうことを、書けるのだろうかと思うのだ。20歳の人が、自分が痴呆症になるのを恐れているということは、なかなか、実感として書けないのではないかと思う。あるいは、年金生活の、むごさ、あるいは、素晴らしさを書けるのだろうかと思うのだ。65歳くらいになると、だいたい、人生のすべての時期に渡って書くことができる。年齢、つまり経験とは、そのくらいの力を生む。
 しかし、小説とは、虚構であることを忘れてはならない。真実を書けばいいというものではないのだ。他人の本を、いっぱい読んで、あるいは、これぞと思ったことを、徹底的に取材して、一つの虚構の世界を築き上げていくのが、本来の小説なのだ。20歳の人が、ある老人の一生を書くとしたら、それはそれは、膨大な取材が必要になるだろう。あるいは、参考になる本を大量に読まなければならないだろう。そこには、本当の経験というのは無い。それでも、想像力を生かして、リァリティを持たさなければ、ならない。ウソの方が、リアルであるということもある。いずれにしても、小説は虚構なのである。他人の本をよく読み、それで、まるで経験したかのように、それらから、メモ帳をつくり、できるだけ多く、取材を重ねる必要があろうかと思うのだ。
 つまりは、小説は、多くの読書と、取材に、裏打ちされた、『真っ赤なウソ』をいかに書けるかが、課題だと思う。最近の若者の小説が、あまりに、世界が狭いのに、私は、ちょっと、不満なのだ。若者の、身近なところから、一歩、外に出た小説を、読んでみたいと思うのだ。20歳の人が、まるで、老人が書いたものというような、そんなふうに、騙されてみたい気がしてならないのだ。