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頭髪譚

 私は髪。長い長い髪。一本でもなければ百本でもない、全ての頭髪。
 生まれは二十六年以上前にさかのぼる。

 二十六年前、宿主である真坂美代子が産まれた。おぎゃあおぎゃあと、初めて味わう空気のひりひりとした感触に泣きわめいていた。
 「おめでとうございます! 元気な女の子ですよ!」
 初産であったため、出産には十時間はかかった。地球を腹から産みだす痛みを十時間の間母親は耐え、私と美代子は産まれた。
 美代子は父親にも母親にも祝福された。まるで天使のようだと親ばか全開で両親ともに美代子をほめちぎっていた。
 そうして名付けられた。うつくしさ、あいらしさの化身の子供、美代子、と。

 産まれて五年後、美代子は幼稚園に入った。やかましさと騒々しさの中で美代子はよく本を読んだ。時折友達と共に外で泥遊びをしたりすることはあったが、たいていは本を読んで過ごしていた。
 お陰で私は砂ぼこりをかぶるかわりに綿ぼこりをかぶった。美代子が読む本は大抵表面のみ掃除された本棚の奥の奥から取り出してきていたからだ。
 よくもまぁそんなところの本を探し出せるわね、と幼稚園の先生はなかば呆れていた。
 美代子は探し物の名人でもあった。

 生まれて七年後、美代子は小学校に入った。
小学生になると少しはおとなしくなった。そして美代子は成績優秀だった。素直で好奇心旺盛な、まさに理想的な模範生。
 しかし、もちろん優等生であればあるほど、それをねたみ、やっかむものもでてくる。髪である私に人の考えることはよく分からない。が、どうやら人は自分より優れた者に対して攻撃を加えることもあるようだ。
 おかげで美代子は嫌がらせを受けることになった。だが、ある日私をつかむ者がいた。私が何本も抜けた。私は自分の体の一部が抜かれてしまったことで、ひどく傷ついた。
 だから、そいつの指にぎりりと巻きついてやったのだ。
 血流の止まった指は、健康的な肌色から徐々にどす黒い土気色に染まっていった。色が変わるにつれてそいつはパニックを起こし、泣き喚いたが私は力を緩めなかった。あたたかい指が冷たい肉になっていく。このまま腐り落ちてしまえとばかりに私は締め付け続けた。
 ところが、美代子がはさみで私を切ってしまったのだ。
 私は仕方なく、力を抜いてだらりとした。私の体は切り落とされた。

 その日から私、いや美代子のあだ名は「髪お化け」になった。

 あからさまに美代子を避ける者が増え、先生ですら気味悪がっているようだった。
 唯一気味悪がらなかったのは、何も知らない両親だけだった。
 
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 変に短くなってしまった髪を見て、美容院に連れて行ったくらいだった。まさか美代子が自分で髪を切ってしまったなどとは想像もついていない様子だった。

 生まれて十三年後、美代子は中学校に上がった。
 小学校の頃の彼女を知る者はいなくなった。
 なぜなら、美代子は引っ越しをしたからだ。東から西へと。
 美代子は大人しい、を通り越して少し内気になってしまっていたが、私はあの事件以来特に何もせずに大人しくしていた。
 美代子はまた髪の私が何かするのではないかとビクビクしていたらしいけれど、私がずっと悪さを働かなかったせいで少しだけ安心したのか、少し開放的になった。
 高校受験を意識しだす頃には、すっかり美代子は元気になり、明るい子として扱われていた。 成績も相変わらず優秀で、高校も有名な進学校を視野に入れていた。
 まだまだ未成熟なところのある美代子の自慢は、少しづつ女らしくなってきた自分の細い体と、さらりとつやめく私だった。
 同い年の男の子たちの羨望のまなざしを受けながら、美代子は誇らしげに廊下を闊歩した。私も美代子に誇ってもらえることが嬉しくて、風が吹くたびにきれいになびいてみせた。
 受験勉強が本格化して、美代子は美しさに磨きをかけながら勉強するという荒業を見事やってのけた。
 そうして、美代子は最初に描いていた進学校よりもレベルがもう少し上の、第一志望になっていた高校に合格することになる。

 生まれて十六年後、美代子は高校に上がった。
 狭い中学に比べれば、少しだけ広くなった世界。それでも高校には中学までとは比べ物にならないほどの広さがあった。
 それと同時に、授業もよりハイレベルなものとなり、美代子は塾に通いだした。
 友達も出来たけれど、美代子は遊ぶよりももっぱら勉強し続けていた。
 まるで受験時代の影響が色濃く残っていて、美代子は勉強中毒になってしまったかのように勉強した。
 私を振り乱して、ろくに手入れもせずに勉強し続けた。
 そして当然、誇っていた私の色艶が徐々に失われ始めた。
 それでも、私はできるだけ多く美代子の体から養分をもらい続けていた。
 もし、美代子が勉強をすることから解放されたとき、自分があれだけ自慢にしていた美しさが損なわれてしまっていたらあんまりだと思ったのだった。
 ところが、美代子は私に目を向けることもなく、気がついたら大学受験を意識しだす頃になっていた。
 美代子は何かに取り憑かれてしまったかのようだったが、原因は考えるまでもなかった。
 両親からの過剰な期待、高校での授業のレベルの上昇、先生の「いい大学に入れない奴は生きる価値などない」などの暴言、友達だった子たちの出来ないフリをする裏切り、女子の容姿を値踏みする男子たちからの心ない悪口…。
 美代子は次第に追い詰められた。最初に感じた開放感もいまや彼女にとっては束縛と同じだった。
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 だけど、美代子は信じ続けた。勉強さえしていれば、後でどうにでもなる、と。

 美代子は、とても頑張った。
 とても、とても頑張った。
 私も、応援し続けていた。


 美代子は、第一志望に落ちた。
 美代子は、第二志望に落ちた。
 第三志望に落ちた。
 第四志望にも、落ちた。


 行きたいなどと考えたこともない、名前もよく知られていないような大学にだけ、受かった。


 あれだけ頑張っていたのに、もう美代子には誇れるだけの頭脳などなかった。
 いや、ひょっとしたらあるのかもしれない。色々な要因が重なってしまって、たまたま巡り合わせが悪かったのかもしれない。
 それでも、過剰な期待をかけ続けていた美代子の両親は彼女をなじった。
 出来の悪い子だ、お前は私たちにちっとも似ていない、中学ではあれほどまでに優秀だったのに、おしゃれすることにかまけすぎた罰だ。
 美代子は何も言えず、ただ静かに涙を流し続けていた。そして言った。「浪人させてください。」
 だが、頭の固い両親はそれを許さなかった。
 自分たちだってそれほど出来のよくないくせに、美代子をなじった。
 自分たちを棚にあげて、美代子を罵倒した。
 美代子は呆然としたまま、入学手続きの書類を出した。

 生まれて十九年後、美代子は大学に上がった。
 美代子は授業に何の面白味も感じることはできなかった。
 授業そのものが成り立っておらず、まるで動物園のように大人予備軍たちがぴぃぴぃぎゃあぎゃあと騒ぎまくっていた。
 美代子は知恵を誇ることをやめた。そして久しぶりに鏡を見た美代子は唖然とした。
 かつてあれほどまでにさらさらとなびいた私は、ぐちゃぐちゃでダマがたくさんでき貧弱になっていた。
 つるりとして卵のようだった肌、特に顔にはにきびや、その跡がたくさん残っていた。
 ぷるっとして常に潤っていた桜色の唇はひび割れ、かさかさになって血が滲んでいた。
 
 何よりも、快活な光を宿していたはずの目は、汚くにごっていた。

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 美代子は、再び美しさを取り戻すことを誓った。

 まず身だしなみをそこそこに整え、バイトにいくつも応募して、受かった。
 それから何件もかけもちしてとにかくお金を稼ぎ続けた。
 稼いだお金は全て化粧用品や服などに消えた。
 稼いでも稼いでも、お金は足りなかった。
 そんな美代子に、恋人とも言えるような男性が現れた。
 美代子は次第に恋に深くのめりこみ、とうとう初めてその男と寝た。
 

 ところが、その男は美代子と寝たその次の日に美代子を振った。
 美代子は泣き叫んだ。
 気が狂ったように私をかきむしり、何本も引きちぎった。
 私はうっすらとその男に嫌悪感を抱いていたから、自ら体の一部を切り離して男の服にもぐりこませていた。
 美代子が泣き続けている間、私は分かれた体に不定期にありったけの力をこめてやった。


 そうして、美代子は紙面で男の死を知ることになる。
 理由は、運転中にハンドルを切り損ねての転落死。
 ざまあみろ、と美代子は笑い狂った。
 

 そうして、私は金色に染まることになった。
 美代子はかつて軽蔑してすらいた軽い女たちの仲間入りをしていた。
 適当に男と遊びまわったり、時には春を売って金を稼いだ。
 知らない男と金をもらって寝るほうが、バイトをするよりもはるかに身入りがいいと気づいた美代子はひんぱんに寝た。
 美代子は体も、心もボロボロになっていた。
 そんな美代子を見ていられなくて、私は一夜にして真っ黒になってみせた。
 美代子、気づいて、と。


 朝になって目覚めた美代子はひどく驚いていた。
 しばらく口をぽかんと開けて鏡を見つめていた。


 やがて美代子は私を撫でた。
 
 生まれて二十二年後、美代子は就職をする。
 
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 そこそこ大きな会社で、給料も悪くなかった。
 そして美代子は恋をした。
 相手は二つ年上の好青年。
 深い仲になるまでそう時間はかからなかった。
 だけど何年もたった後のある日、美代子は知った。
 その男はもう一人の女性も愛していたのだと。
 きっかけは美代子が見つけた、知らないピアス。
 探し物が得意な美代子が、偶然見つけた。
 ベッドの隙間で光った何かを、見つけた。
 そして当然、美代子と男は口論になった。
 美代子は必死に男を説得し、その女と別れさせようとした。
 でも、男は話を聞かず、美代子のもとを去ろうとした。
 美代子は泣いて、男を叩いた。
 美代子は知らなかった。
 この男が好青年なのは、見た目だけだということを。




 生まれて二十六年後の今、私はここにいる。
 男に殺され、深く抉られた土の棺の中にいる。
 男がシャベルで私と美代子を埋める。
 土が美代子を汚す。私を汚す。生きていたことを汚す。
 美代子からの栄養の供給はもうない。
 私は最後の力をすべて振り絞って、逆立った。
 男の手が止まった。
 私は根っこから離れ、つながり、頑丈な鎖のように伸びて男の首に巻きついた。
 暴れもがく男をそのまま宙に吊り、そこにあった木に引っ掛けた。
 ばたばたと手足をふるわせていた男は、やがて大人しくなった。
 ズボンから液体が滴り落ちた。
 力を使い果たした私は、そのまま木に引っかかっていた。
 少しずつ、意識が消えていく。
 もし、生まれ変われるなら、また美代子の髪として生まれたい。
 今度こそ、美代子を守ってあげたい。
 まだ美しい最中に、命を奪われてしまった美代子。
 もう、彼女に温みはない。
 

 生まれて二十六年と五ヶ月、三週間と二日。美代子と私は生涯を閉じた。